在宅ホスピス・看取り特化型
ぺリキュール訪問看護
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まずは家に帰ってみましょう
医師から”そろそろ退院しましょうか”とお話があり、皆様は、今、たくさんの不安を抱えていらっしゃることだと思います。
"こんな不安定な病状で家に帰れるかしら?”急に病状が変わったらどうしたら良いかしら?””帰りたいけれど、家族に迷惑はかけたくないし””自分に世話ができるかしら?”たくさんの不安の中で迷われていると思います。これまでぺりキュールをご利用いただきました皆様も、初めは皆様と同様に迷われ、不安を抱えていらっしゃいました。しかし、皆様は必ず、”帰ってきてよかった”と話されます。”ずっと家で過ごす”という一大決心は要りません。まずは、家に帰ってみませんか?そして、ご自身の居場所で、これからの暮らしのことを考えませんか?私たちぺリキュール訪問看護がお手伝いさせていただきます。ほんの少しの勇気をもってご自宅へ帰りましょう。
家に帰りたい全ての患者様へ
ペリキュール訪問看護は、福岡県内にて老人ホームたいようを運営・展開する中で、より良いケアについて探求し、ケアの質の向上に努めて参りました。
そこで、私たちは、人には自力で最期を迎える力があること、ご家族には、最期を見届ける力が備わっていること、
そして、そこには得難い幸せもあることを、たくさんの方々の最期から教えていただきました。だからこそ今、長寿の次に日本が目指すのは、幸せな終焉であると考えています。老人ホームだけでなく、ご自身の自宅でも、ケアが出来るよう、訪問看護ぺリキュールはご支援させて頂きます。
医療関係者の皆様へ
ぺリキュール訪問看護には、「最期まで地域でその人らしく生きる社会の実現」を志した、看護師たちが集まっています。患者様ご自身の持つ力を活かし、老いても、限られた時間であっても堂々と生き、そしてご家族様にとっても、得難い価値と幸せを実感していただける在宅療養支援の拡大を目指しています。
ぺリキュール訪問看護の理念
私たちは、単に家で最期を迎えることを
目指すのではありません。
ホスピスというと病院の一部に併設された末期患者が入院するための病棟を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、本来ホスピスとは建物を指す言葉ではなく、また病院の一部を指すものでもありません。ホスピスとは、”全ての人は死にゆく平等な存在である”という考え方を基本として、少し先に亡くなる人を、少しあとから亡くなる人が見送るということです。”死を自然なこととしてとらえ、不自然に延命するより、苦痛を緩和し、人間らしい生を援助しよう””自らに残された短い時間の意味を見出そう””その時間を十分に活用しよう”というケアの精神を表す言葉です。そしてその基本となるのは、痛みや苦しみを取り除くことや、時間的に長く生きることに価値を置くのではなく、互いの生きている今という時を豊かに、大切にしあうということです。私たちは、単に家で最期を迎えることを目指すのではありません。患者様、そしてご家族様の今を大切にし、自身の人生を振り返り生きた意義を見出し、大切な人、大切な物、大切な思い出とのつながりを実感する時間とすることです。そのために私たちは手を差し伸べ、体に触れ、声をかけ、耳を傾け続けます。そして、毎日の変化、これから病状がどのように変わっていくのか、ご理解できるまで丁寧に詳しくご説明します。その中でどう日々を送るのか共に考え、ご提案いたします。ご利用者様は、病院ではなく、ご自分の家で、たっぷりある時間の中で説明を受け、医療者と共に考える時間を持つことにより”今の状態が良くわかった”と話されます。
私たち訪問看護師の役割は、
山登りのシェルパです
病院死が当たり前の時代となり、在宅での看取りは多くの人にとって経験もなく想像もつかないこととなりました。経験のないことを不安、恐怖と感じるのは当然のことです。 人は生まれた時から強さを持ち合わせているわけではありません、例えば私たちの強さは喪失という危機を通して覚醒されます。その危機とは、障害であり、病です。私たちの役割はその覚醒された力がしっかりと根ずくように手伝い、行く先を案内する、シェルパであると考えています。 皆様の在宅療養という未知なる旅のシェルパとして共に歩みたいと願っております。
キュア
もちろん痛みや苦痛は医療知識技術を用いて、最大限に取り除きます。現在、緩和医療に関して、病院でなければできない医療はありません。家にいても入院時と同様の緩和医療を受けることが可能です。そのために、患者様とご家族の毎日の生活を身近なところで見せていただき、主治医の先生と相談し、最適な薬の利用やより効果的な方法をご提案します。
環境調整
単に患者様に対するケアだけでなく、ご家族やその療養環境にも配慮し、限られた時間を、療養と介護の時間にせず、毎日の生活の制限を最小限にし、自由を最大限となるよう配慮し、負担の少ない介護の方法をお伝えし、便利な道具や器具をご紹介します。また、ご希望される医療が適切なご利用を含めて、在宅療養生活全般についての道案内をいたします。
ケア
もちろん痛みや苦痛は医療知識技術を用いて、最大限に取り除きます。現在、緩和医療に関して、病院でなければできない医療はありません。家にいても入院時と同様の緩和医療を受けることが可能です。そのために、患者様とご家族の毎日の生活を身近なところで見せていただき、主治医の先生と相談し、最適な薬の利用やより効果的な方法をご提案します。
仲間を増やす
単に訪問看護を提供するだけでなく、医師との連携、他のサービスとの連携により療養生活の負担を軽減し、患者様ご家族を支えるチームを作り円滑にサービスが受けられるよう調整いたします。在宅療養においては、患者様、ご家族様の望む毎日、望む生活をかかわるサービススタッフが十分に理解しお手伝いさせていただくことが大切です。私たちは皆様望みをかかわるスタッフに的確に伝え、十分なケアのできるチームを作ります。終末期においては、疼痛緩和などの医療技術以上に「心温かい存在がそばにいること」が大切であり、その存在こそが助けになると言われています。 私たちは、心温かい存在として皆さんと共に在る仲間を作ります。 訪問看護を受けられて、自宅での看取りを終えたご家族はみな「自分達の力で最期をみとることができました」と口にされます。 人の人生の最期は医療が看取るのではありません。看取ることができるのはご家族、そしてこれまでの人生で触れ合った仲間です。
家で生きることの意味
老いること、死を迎えることは正常な成長です。
長寿は、人々の願いです。そして日本は世界一の長寿を手に入れました。
しかし、それでも老いない人も、死なない人もいません。
人は生まれてきて、成長を続け、やがて成熟を迎え、加齢を続け、老い、そして最期を迎えます。
”老い” も ”死” も、すべての人が通る正常な営みです。
”老い” ない人も ”死” なない人もいません。
いつか”老い”が訪れ、いつか”死”が訪れること、それはこの世に生を受けた時に決まっていることです。
”老い”も”死”も人としての成長や成熟の先にある、正常な変化です。 そう考えると、病院という、
『異常』を見つけ、検査し治療する『正常化』のための場所において、生命にとっては『正常』な現象であるはずの死を迎えているという、何とも不自然な様子が見えてきます。医学の進歩、病院死の一般化は、”死”が生命にとって正常な営みであることさえも忘れさせてしまったということです。 人生の中に、生きていることの延長線上にある”死”ととらえたとき、「自分の人生」を「自分の居場所」で過ごすそれがとても普通のこととして見えてくるのではないでしょうか。家は生活する場であり、それぞれお一人おひとりの基盤となる場所です。自分らしく生きる場としては、家以外の選択肢はないと考えるのは自然のことです。残された限られた時間だからこそ家で慣れ親しんだ物や思い出に囲まれ、ご家族や親しい人と一緒に過ごすことが必要と考えます。 在宅療養を選択され、看取りをされたご家族は、その経験を「幸せな時間でした」と話されます。
ご主人様をご自宅で看取られたH様のお言葉
主人だけでなく私の体のことまで心配していただき、ありがとうございます。
悲しみはもちろん未だにありますが、教えていただきながら
私たちのできることを精いっぱいできたこと、主人と子供たちと
一緒にいられたことが、今では一番の宝になっております。
幸せなひと時。夫も私も幸福でした。 夫は無論ですが、介護した自分自身が幸せでした。
奥様をご自宅で看取られたK様のお言葉
肺がんの診断から3年、急に食べることも歩くこともできなくなり受診。
検査の結果、がんが脳に転移しており、主治医から余命1ヶ月と宣告され大変落ち込みました。入院後1ヶ月を過ぎ、医師から転院を勧められましたが、転院先は1日27000円と言われました。
とてもそんな高額な支払いはできないと困惑し、妻に相談したところ、妻は「自宅に帰りたい」というので、子供にも相談し自宅に帰ることにしました。しかし内心は不安でいっぱいでした。
電動ベッド、車椅子をレンタルし、ヘルパーが1日3回、往診医が週1回、訪問看護が週2回家に来てくれ、様々な世話をしてくれました。妻の食事は私が全部作りました。妻の食事を終え、自分が食事をとるのはいつも8時を過ぎていました。そして一番大変だったのは夜のおむつ交換でした。
そんな中、「Kさん、おもいっきり介護してやれば、亡くなった時でも涙は出ないよ」と友人に言われました。本当にそうでした。妻は眠るように静かに何も言わずに息を引き取りました。私から見れば、妻は最高の死に際だったと思っています。妻の介護を支えてくれたサービスの方々、そして若いころ一緒に子育てをして、一緒に年を取ってきた、となり近所の方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
お母様をご自宅で看取られたS様のお言葉
母の最期の1ヶ月をご支援いただきありがとうございました。
父を支え、私と弟を育て、ご近所の方やお友達にも自分から何かをしてあげることの多かった母が、最期の1ヶ月は、家族やご近所の方やお友達から「してもらう」という恩返しを経験し、穏やかで楽しい時間を過ごすことができたように思います。大学病院を退院する時に、他の家族は家に 戻ることに反対していました。病院にいたほうが安心だ、病院にまかせた方が安心だと言われました。 その家族も今では、母のお別れに来て下さった方々に「家に来てくれる看護がすごくよかった」 「訪問看護といういい制度がある」「家に帰ってきたら元気になった」「家で最期まで過ごせてよかった」などと 口ぐちに話していました。びっくりです。これは来ていただいたのがぺリキュールだったからなのだと思います。 そして、みなさんとの出会いは神様が母にくれたプレゼントだと思っています。そしてクリスマスの イルミネーションは最高の思い出になったことでしょう。仕事ばかりで母のことを顧みなかった父にも、 もちろん私にも5日の晩の外出は本当に大切な時間です。これからもっとその時間のありがたさが 身に染みてくることと思います。母が弱ってくること、家で看取ること・・ものすごい不安との戦いでした。 でもみなさんのお力をお借りし、支えていただき、私にできることは全てしてあげることができました。 何も悔いはありません。10日月曜に母は、この家から出発です。
お父様をご自宅で看取られたK様のお言葉
胃がんで治療のための入退院を繰り返し、これ以上の治療はできないと言われ、在宅療養を始めましたが、最期は家族が見守る中、静かに息を引き取りました。
その日のことは今でも鮮明に覚えていて、母がご先祖の墓参りをして
「どうか安らかに最期を迎えさせてください」とお願いして帰ってきた直後に息を引き取りました。振り返ってみると家にあるハンガーを使って点滴のスタンドにしたり、戸惑いながら点滴の管を交換したり、在宅での療養・介護というのは確かにつらい部分もありますが、それと引き換えに施設に入っての療養では見えてこない部分が多くありました。父にしてみれば、本心はもう一度病院で再治療を受けたいと思っていたかもしれません。それでも、「やっぱり家はいいなー」と良くつぶやいていました。
今思えば、あの期間というものが自分にとって、父のそれまでの生き様について深く静かに考えることができた時間だったと感じています。あれほど壮健だった体が日に日に弱ってくること、腕や足が徐々に細くなっていくこと、だんだんと声が出せなくなること、そのことを肌で感じながら、父からいろいろなことを教わったような気がします。大切な家族が老いていくこと、そして最期を迎えること、このことを日常から切り離すのではなく、自宅で家族が寄り添うことができること。あの日々のおかげで3周忌を過ぎた今でも素直にいろいろと父と会話ができているような気がします。
ご主人様をご自宅で看取られたS様のお言葉
多系統萎縮症と診断され、病状が進行し、誤嚥性肺炎で入退院を繰り返していましたが、 経済的な理由から働きながら自宅で介護していく道を選び、在宅療養生活がスタートしました。毎日の訪問看護師、週3回のデイサービス、ヘルパーも1日2回利用してきました。
それでも、2~3時間おきの吸引、点滴、酸素吸入、尿パックの管理などで心配事は色々ありましたが、 主人は笑顔で「大丈夫、心配要らない」と、言ってくれました。しかし、主人の苦しい息使いが終始絶え間なく聞こえてきて気が休まらない日々の連続でした。そんな日々の中、 毎朝、看護師が訪問し、病状を見てくれることでホッとしていました。 ある時、何度目かの誤嚥性肺炎を発症し、また入院か、と肩を落としましたが、看護師から「診察に行っても、入院しないと言えば自宅へ帰ってこられますよ、病院でも自宅でも、行える治療は一緒です。 大変かもしれないけれど、家族の側にいるほうがSさんの心の平穏のためにはいいのではないですか」と提案されました。 病院の主治医からも「Sさんは入院を希望されないんですよね。本当だったら即入院なんですけど、自宅でも、病院でもやることは一緒ですから」と言われ自宅に帰りました。 その後も肺炎を繰り返しました。主人も呼びかけに応じられない時が増えて、あまりいい状態とは言えなくなり、ある朝、ほんのわずかな時間目を離して、枕元に戻ると主人は息をしていませんでした。 訪問看護師さんに連絡してから来てくれるまでとても長く感じられました。あれほど自宅で終わらせると決めていても「早すぎる!」と思えて仕方ありませんでした。 看護師さんが来て、一緒に体をふき、お気に入りの洋服に着替えさせ、とても穏やかな顔になった時にはホッとしました。 「お父さんはやっと楽になったんだ、無理に引き止めても苦しい思いをさせるだけ、寂しい思いをさせるだけ、家で終われてよかったね」と自分にも言い聞かすことができました。 主人にはいつも感謝され「お前にはありがとうと言っても足りないくらい世話になったな、口がきけるうちに言っておくよ」と何度も言っていたあの言葉がいつも心の中に残っています。 「大好きだよお父さん」と言ってハグすると、ニコッて笑ってくれた主人。病院じゃなかなかできないハグも家だからできたと思います。 これから残されて生きていく私のために主人は大切なあたたかい心を残していってくれました。